くそったれ人生。

惨め日記の新たな置き場所です。

State Violence / State Control

こんばんわ。黒子です。

 

最近久しぶりにハードコア熱が再燃しました。ハードコア。ハードコアパンクです。

 

まさか三十歳になったこの年に再びハードコアを熱心に聞くことになるとは思いませんでしたが、聞きたくなったんだからしょうがない。

 

きっかけはくそったれ職場において日に日に多数派の数による暴力・支配が酷くなっていく中で、圧力をかけられたりと本当に胸糞悪いことが続いていて、言語化するには本当に「けったくそわるい」以外の言葉が思い浮かばない感情が自分の中で渦巻いていたんです。

 

で、家にある音楽を聞いてこの感情を発散しようと思ったとき、「規模は違うけれど、自分が受けているのは間違いなくある種のState Violence / State Controlに違いない。これはDISCHARGEを聞くしかない」となったわけです。

 

十代の頃はそれは熱心にパンクロック・ハードコアパンクを聞いていたわけですが、ある時「自分のような安穏と生きている中産階級のだらしないガキがパンクを名乗るのは間違っているのではないか」という思いがよぎり、それ以来あまり熱心に聞かなくなっていたんですね。

 

主義・主張と生活は一致させるべきであるということを自分はパンク(というかCRASS)から学んだつもりでいたので、それが出来ない人間はパンクを名乗る・聞くべきではないと勝手に自身で設けた強迫観念ルールによって、自分は何年もパンクから遠ざかっていたわけです。

 

しかしやっぱり自分は徒党を組んでデカい顔をするクソ野郎どもが大嫌いなので、これはメロデスを聞いて泣いてばかりいては駄目だぞと、ハードコアを聞いて戦わなきゃという思いが沸々と湧きあがったわけです。

 

「個(人)でも孤(独)でもいいから、横暴な力を振りかざす多数派に負けるな。戦え」という姿勢を自分はかつてパンクから感じ取り学んでいたはずで、それが今また燃え上がるなんて思わなかったけど、とにかく今自分に必要なのはハードコアパンクだよって思ったのでした。

 

とりあえずDISCHARGEを引っ張り出して聞き、それでも物足りず売らないで残しておいた他の音源もさらに引っ張り出して聞き、そしてかつて通らなかったバンドたちの音源も買い漁るなど、ブランクを取り返すかのように今はモリモリとハードコアを聞いています。

 

主義・主張と生活を一致できないだらしない大人になってしまったのは本当に情けないけれど、それでもやっぱり好きなものは好きだし、憧れるもの・心惹かれるものは変わらないのだと素直に思えたので、またこれからもパンク・ハードコアを聞いていこうと思います。